- 1963年(S38年)に創業した革の製造販売及び輸出入事業を、先代のお父様より引き継がれたと伺いました。
先代はどのような方でしたか?記憶に残る出来事はありますか? -
人付き合いが大好きで、優しさに溢れた人でした。仕事で厳しく指導を受けた事はありませんが、「人を見て仕事をしなさい」「信用は一瞬で崩れ去るが、信用を築くには時間と努力が必要」と事あるごとに言われ続けていました。この言葉を今でも胸に抱き社長業をしています。
記憶に残る思い出は、日本が高度経済成長の真っ只中で売上の稼ぎ頭である輸出入事業を突然止めないかと相談された時でした。
当時の輸出入事業の売上は大きく突然止める事に反対はしましたが、先代の耳には届かず突然の事業廃止。その1年後です。
バブルが崩壊し同業者が次々に廃業に追い込まれ厳しい時代を迎えたのは…。あの判断がなければ、今の私もこの会社もありませんでした。
当時なぜあのような判断が下せたのか…明確な理由は教えてもらえませんでした。
しかし、その事がキッカケでいろいろと物事を深く考えるようになり、自分には無かった探究心が芽生えたような気がします。
- 「モノが人と人を繋ぐ~チームZERO(社外間組織形成)~」プロジェクトとは、具体的にどのような試みなのか教えて下さい。 -
ZERO(ゼロ)とは契約書に縛られない「人同士の想い、信頼関係」で仕事をしていく企業間の組織形態を意味します。
中小企業である我々メーカーはどれだけ素晴らしい企画を生もうが、協力して頂ける工場がなければ発信はおろか会社運営もできません。
国内回帰された現代に至っても、国内工場は潤うどころか中国生産での知識しかない担当者からの無理難題な業務依頼に苦しめられ、断る事も出来ず生活のために無理して仕事をこなしているのが現状です。「日本製」を生み出す国内工場を守るためには、古き良き時代の「企業間の壁を越えた助け合い、切磋琢磨しながら共に成長できた」対価の取組(利益分配)を行う必要があります。
ここで重要な事は、先代から教わった「信用」の裏側にある責任感です。仕事を依頼する我々メーカー側も仕事を受ける工場側も「良いモノ(商品)」を生み出すために、責任感を持って知識と経験を集約し「信頼し合えるチーム」になる必要があります。それがZEROプロジェクトです。時代遅れかも知れませんが、信用し合える仲間と共に共存共栄を図り、皆が儲かる関係性を築く事が難しい時代だからこそ今求められていることがZERO=信頼し合えるチーム(社外間組織)だと考えます。
- このプロジェクトでシューズを製造販売しているとの事ですが、実際にプロジェクトを進行してみていかがですか? -
弊社の商標資材AQUALEATHR(天然皮革)を使用したレディースシューズやバッグを販売させて頂いています。
いつか自分が作る革を使って製品まで手掛けてみたいとの「夢」が、㈱サニーサイドシューズ(工場)の横内さんがこのプロジェクトに賛同してくれた事で、その夢が叶いました。
また、それと同時に資材一つで商品の品質が変わるほど、資材がどれだけ重要な材料であるかを身に染みて学ばせて頂きました。
- 最後に社長の夢を教えて下さい -
私に付いてきてくれる社員の幸せと、我々とお付き合いしてくれている業者様、個人事業主様の繁栄と発展です。
また、弊社に仕事を依頼してくれるお客様の「喜びと期待」をいつまでも継続できる会社にしていきたいと考えています。
山嵜 潤(やまざき じゅん)
1964年2月26日生。石川県出身。㈱ヤマザキ / ㈱S&Jビル 代表取締役社長。
若干38歳にして先代が築いた事業を引継ぎ代表取締役社長へ就任。革の製造販売だけでなく、不動産業経営も行う。現在、日本の「モノが人と人を繋ぐ-ZERO-」プロジェクトを発足し、日本のモノ創りに秘めた未知なる可能性をカタチにする製品事業も展開する。